元EMO-RAY

ルール無用のアルティメット地帯。モヒカン横行中。
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M-1グランプリ2006
毎年恒例、楽しみなTVナンバーワン。
という訳で今年もガッツリ見てました。
むしろ正座する位の勢いで食いついてました。
個人的には3年前から徐々に注目し、応援していたチュートリアルが優勝ということで非常に喜ばしい限り。
以下感想。



POISON GIRL BAND
相変わらずのシュール路線、ただ今年は妙にくどかった。
美味しい所の繰り返しは笑いに繋がるとは思うが、それ以外の部分繰り返してもそりゃ駄目。
今回最下位だったのも場の空気が暖まってないとか関係なく順当に最下位だと思う。
個人的に面白いと思ったことがないので否定的な見方しかできないのかもしれないけど。



フットボールアワー
相変わらず後藤が上手い。
ネタ自体が面白いとかそれ以前に後藤が上手い。
テンポを上手くコントロールできてて非常に手本になるツッコミ。
あんな風にツッコミたいと常々思っている。
何処でって?んなもん日常会話で。
あ、常日頃会話する相手いねーや。HAHAHA・・・HAHA・・・H



ザ・プラン9
基本横並びのコントみたいなのばっかやってるイメージがあったが、今回でイメージが変わった。
数多いと不利になる要素ばっかなのかと思いきや新感覚。
観客側の注意が分散するのでインパクトは薄まるだろうと思ってたら縦並びでくるとは。
俺が予選で一番笑ったのはこの人らだったが、システム的な部分の詰めの甘さとかを指摘され何か低得点。ちょっと辛過ぎないかと。



麒麟
相変わらず川島は上手い。
ネタも全部川島が考えてんだから田村要らんと思うんだけどなぁ。
ただ、今回は妙にネタが弱かった。
序盤が強めだっただけに後半の弱さが目立つ結果に。
上手いけどあんま笑えず。
でも上手さを評価されて高得点。しっくりこない。



トータルテンボス
ツッコミの言葉選びが奇抜でいい。
それだけ。
特に面白いと思わなかった。もっとウケてもいいとは間違えても思わない。
あれでもウケ過ぎな位。



チュートリアル
まず一言。
チュートリアルは徳井でもってるんじゃない。福田でもってるんだ!
そんなチュートリアル。今回どのネタで来るのかなぁ、って思ってたら冷蔵庫だった。
元々6分のネタなのにそれ4分で纏めるのキツいんじゃないかと思ってたら全然余裕だった。
普段どんだけ水増ししてるのかと。
ネタ自体はいつも通りなのに福田がいつもより大声だった。
それで客席の反応はいつもよりウケが良かった。
確かに面白かったが、がなったコンビほど高得点になる風潮はどうにかならんものか。
アンタッチャブルといいブラックマヨネーズといい・・・(注:俺はどちらも嫌いです)



変ホ長調
正直点数には納得がいく。
プロは敵に回せない相手をネタにし過ぎ。これがアマチュアの強みか。
審査員が高得点つけられないから意味ないけど。
同時に人の有名税で人を笑わそうとするのは駄目だろうとも思う。
少なくともコンテスト向けの漫才ではない。そういう印象。



笑い飯
ダブルボケのイメージが定着しすぎて、無理やりにでもボケてくるイメージがある。
ただ、そのイメージを上手く利用してボケると思ったら普通の事を混ぜて笑いに繋げるのが上手い。
そして哲夫はともかく相変わらず西田は上手い。
ただ、後半ハイテンポで交代する流れがある以上メリハリの意味で前半はスローテンポにせざるをえず、そのことが敗因となったみたい。
しかしながら麒麟とも僅差ではあり、ここが並びになるのは評価としては順当だと思う。



敗者復活:ライセンス
個人的には面白かった。
ただ、ツッコミ放棄の流れがフットと被ったのは痛かったかなぁ。
観客の食いつきも良かったように感じるものの何故かトータルテンボスより下。
それはない。もっと上。



最終決戦
チュートリアルがダントツに面白かったのは確か。
確かにチュートリアルは面白かった。出来も普段の8割増し位。それは間違いない。
それ以上に麒麟もフットもやたら弱いネタだった。そこはもっと間違いない。
だから、結果に異論はない。
ただ、これだけは言わせて欲しい。
ネタ中に起きる拍手。あれは何?
昨年も思ったけど・・・ネタ中に満場の拍手が起きるとかありえない。
いや、確かに手を叩いて笑う時にパラパラと拍手が起きることはあるけれども。
あんな謀ったように揃った賞賛の拍手はありえないでしょ・・・
しかもM-1であの拍手貰ったの、覚えてる限り去年のブラックマヨネーズと今年のチュートリアルだけ。
あんな拍手を貰えるほどウケたから優勝したとか、流石にそこまでの好意的解釈は俺には無理。
今回でTV的な何かがあることはほぼ確信に至ったが、まぁそれはいい。
ネタが聞き取りづらいからマジであの演出はやめて欲しい。ほんとに。



とか否定意見ガツガツ言いながらも来年からも絶対に見るんだけど。M-1が面白いことには変わりないので。
| 今村 涼次 | 真面目な話 | 03:33 | comments(0) | - |
通報しました。 〜その後〜
今日前回日記のコンビニに行ったらこの前の店員がいたのでその後どうなったかを聞いてみました。
以下箇条書き。


・店員側はきっちりお説教した後親との話し合いで済ませるつもりだったとのこと。

・自分の本当の名前も電話番号も住所も嘘ばっかり言っていたらしい。

・おかげで店員側も学校を特定して先生を呼び出して本人特定せざるをえなかったとか。

・最終的に学校の教師→親のコンボを喰らって終了。

・3〜4時間はかかったとのこと。


・・・ああ、一気に気が楽になりました。
時間がかかったからって許してくれる筈がないんだから、謝りたおして許してもらう位しか逃げ道ないはずなんですけどね。
強行突破する気もないのに嘘つき続けても心証悪くするだけですし。
せめて嘘つかなかったら親だけで済んだだろうに・・・アホだなぁ。
っていうかね・・・


他の客が立ち読みしてる横1mで堂々と万引きするのが頭悪い。


正面からレジ向いて背伸びしながら店員の様子を伺ってたらそりゃ客にも気付かれる。
っていうか、さっとアイス買って出てりゃ捕まることもなかったのにね。
時間かけすぎ。

色々と頭悪すぎる行動なので、苛められてやらされたってこともほぼ無いだろうし荷が下りました。


おまけ。
店員に「親切にありがとうございます」って言われた。
なんか複雑な気分だった。
| 今村 涼次 | 真面目な話 | 17:22 | comments(0) | - |
通報しました。
こういうタイトルだと、今までの読んでくれてた人はネタを期待したかもしれません。
でもまぁ・・・結論から言うと真面目な話。



いつも通りコンビニに寄ってたら、なんか怪しい動きしてる小学生の女の子がいたんですよ。
ちらちらとレジを気にしてる。
片手には18未満お断りの雑誌。
あら・・・これはもしや・・・って思ってたら案の定・・・・・・
鞄に入れちゃったんですよね・・・
隣でジャンプ立ち読みしてたもんだから気不味い気不味い。



ちょっと呼び止めて説教かまそうかとも思ったんですけど、走って逃げられたら追いかけるのもだるいし、「痴漢」と叫ばれれば自分の身も危ういこの世の中。
一応店出るまでの間に改心してくれないかなぁ・・・っていうほとんど現実逃避をしながらその女の子観察してたんですが、ふっつーにアイス見てんですよね。普通に品定めの真っ最中。
そりゃ改心なんかするわきゃないのは分かってるんですが・・・
堂々とし過ぎで常習か、友達にやってる奴いて話聞いてやったかのどっちかでしょうし。
で、タイトルに戻る訳です。
アイス買いにレジに並んでる時に他の店員に


「あの子、あの青いバッグの中に本パクってますよ」


その子は店員に連れられスタッフルームに消えていきました。


果たしてこの選択はベストだったのか・・・今でも疑問に思います。

あの子は18未満お断りの雑誌に興味を持って、欲しくて、でも買えなくて盗ったのか。
それともスリルが欲しくて盗ったのか。
十中八九スリルのほうだろうけれど断定は出来ないし、どちらにせよ好ましくないことは確か。

このことが原因であの子の人生が狂ってしまわないだろうか。
例えば学校に通報されてしまって素行欄で受験が望み薄になってしまったり。
例えば友達に知られてそれが元で苛められたり。

そんなことになるかもしれないなら、あの子のやったことを見過ごしてもよかったのではないか。
あんな小さなうちから盗みが常習化したらろくな事にならない。駄目だ。
それ以上に、盗みは真面目に働いてる店員に対する冒涜。

もっと他にいい方法は無かったか。
あの子を俺がとっ捕まえて、本を売り場に戻させれば良かったんじゃないか。
でもそれじゃきっとあの子は懲りない。
罰を受けないから。

自分の保身は考えなかったか。
変質者と騒がれるかもしれないのは怖かった。
走って逃げられたら俺が捕まえなきゃいけなくなるのも面倒だった。
色々大義名分ばっかり考えて言い訳してるけど、結局保身ばっか考えてる。

だったらあの子の人生が狂うかもしれない、その事を俺が背負えるのか。
背負えないし、背負いたくもない。

そういや1年前、ヤンキーが弁当パクってる現場直視したけど絡まれるのめんどくさくて放置したなぁ、俺。そのあと通報しなかったのに軽く絡まれたな。
人見て対応決めてんだから、なんともまぁ最低な俺。

そんな風にぐるぐると思考が回ります。止まらない。止められない。



あの子は自業自得。でも引き金を引いたのは俺。



今頃あの子はこってり絞られてんだろうな。
せめて2〜3時間店員に説教されて、親に知らされる程度で済めばいいなぁ、なんていう事を考える。
俺は偽善者なんだろうね。きっと。
詰まる所は、マジ凹む。そういうお話。
| 今村 涼次 | 真面目な話 | 16:53 | comments(10) | - |
主義主張と論理。
いい機会に出会ってしまったので、つらつらと真面目な言葉遊びでも。



世の中のには多種多様の主義主張が存在します。
例えば刹那主義者にとってはその時、その瞬間が至上のものであり、最終的な結果は二の次とします。
大局主義者は最終結果さえ良ければ今、その瞬間が辛かろうが我慢の価値ありと考えます。
これは価値ある瞬間を『現在』に置くか、『最終的未来』に置くかという微小な価値観のズレによって、到達する結論に大きなズレが生じる顕著な例であるといえます。


他にも宗教家は公衆道徳、宗教倫理を基礎とした概念を至上とするであるでしょうし。
民主主義者は多数決の論理を至上としています。
守銭奴は財産を築き上げることこそを至上とすることでしょう。
それが顕著な形になると、詐欺師はそのために人を騙す事さえもいとわない。


そんな多種多様な論理が『世界』というるつぼのなかで複雑に絡み合っています。
そしてそんな論理の中から取捨選択をしながら蓄積し、また発展させて自分を形成していくんですよね。


そう、我々が生まれた時は何の知識も概念も論理も、主義主張も持っていませんでした。
そして全くの無垢を基点として環境から一つづつ学んでいきます。
例えば『人を殺してはいけない』ということ。
例えば『人を騙してはいけない』ということ。
はじめは全くの無垢な状態でありますから、学んだことが自分の中で矛盾することはなく、どんどん学び続けていきます。
しかしある日『人を騙してもいい』だとか『人は殺してもいい』という意見を聞き、自分の中に取り入れようとした時に矛盾が生じてしまいます。
『人を殺してもいい』のか『人を殺してはいけない』のか、『人を騙してもいい』のか『人を騙してはいけない』のか。
そこで自分の中の情報、つまりは法律、道徳、倫理、美学、損得勘定などを総動員して、どちらがより矛盾が少ない概念なのかを吟味し取捨選択を行っていきます。
もしくは一部分だけを取り入れ、さらに自分を昇華させていきます。
そんな作業の繰り返しで矛盾の少ない自分を作り上げていく訳です。


よく『国民性』だとか『お国柄』なんて言われますが、これも考えてみれば当たり前の話なんですよね。
地域環境、時代によってはじめに学ぶこと、つまりは基盤となる概念が違うんですから。
極端な話になりますが、現在の日本では表面上は治安がしっかりしていますから人を殺すことはよくないということを基盤として考える人が圧倒的多数ですが、紛争地域や治安の悪い地域のように殺さなければ殺される危険をはらむ地域では時と場合によっては人を殺すことも止むを得ないということを基盤として考えるかもしれません。
日本で『人は殺してもいいんだ』なんて主張しても殺してはいけないという基盤のおかげで切り捨てられるでしょうし、『人を殺してはいけない』と紛争地域等で訴えても、殺してもいいということが常識となってしまっていれば一蹴されることでしょう。
基盤が違えば取り入れられる概念も違うし、切り捨てられる概念も違ってくるのは至極当然の話。


そうして環境によって自分は作り上げられていきますが、他人は皆環境が違うので対立することも出てきます。
対立してしまった場合は意見を出し合い、討論することになります。
正直この作業は自分の中の考えが確固とした言葉として表現できなければ論理として優勢なものと認められないため、そのことについてどれだけ自分の中で整理したことがあるかで勝負が決まってしまい、その討論の結果は非常にあてにならないものであることが多いと感じるのですが、それでも自分の考えが一時でも負けることが今まで歩んできた自分の歴史、ひいては自分そのものまでも否定されることに繋がりかねないためか、綺麗に反論はできないものの相手も全否定することで自分を守ろうとする光景もよく見うけられます。


そんな不毛なことをする位なら色んな意見があることを認めてしまって否定しなければとりあえず揉めることは無いような気もしてくるところですが、俺はどうにもしっくりきません。
多種多様な論理を認めるという考え方は、単一の論理のみを至上とする概念の前では矛盾するからです。
一つは単一の論理が至上であることを認めてしまえば、他の対立する至上主義的論理が存在した時にどちらが至上であるのかという点で矛盾するという点において。
一つは多種多様な論理を認める時点でその概念は至上ではないと宣言したのとほぼ同義であり、至上主義的概念に劣るという点において。
ほとんど言葉遊びなのですが、論理性という観点から見ると弱いんです。多様性を認めちゃうと。


そして俺が何より違和感を感じるのは、そういう考え方をする人もいるんだ、で終わってしまえば発展性が無さ過ぎるということ。
どうしてそういう考え方をするのかということに対して根本からの深い理解をしようとしていない姿勢の表れのように感じるんですよね。
実際にそんな姿勢なのかどうかはさておき、まぁ俺は大概の場合そういう姿勢の場合が多いとは思っているのですが。
否定が無ければ揉めないけれども、発展も無いと思うのです。


だからといってただただ否定してればいいというものでもなく。
お互いの意見を出し合い、相手の意見に少しでも認められる点があればその点は素直に認める。
その場で綺麗な言葉として反論できなかったことは無理に反論しないで自分の中で突き詰め、整理し、自分を昇華させる糧とする。
有意義な討論というものは自分を見つめなおすいい機会であり、安易に人の意見を認めてしまうことは自分を昇華させる機会をともすれば潰してしまいかねず、非常にもったいないのではないでしょうか。


「論破する自信はある」
とある人の日記に書かれていた言葉なのですが、俺はある意味では非常にカッコいい言葉であり、ある意味では非常にみっともない言葉であると思います。
悪く見ると相手に考えを押し付け、自分を誇示する自信があるともとれます。
よく見ると自分の中で全ての可能性を模索しきった、自分を見つめなおす作業を十分と行ったという自信の表れともとれます。
要は自分自身に凝り固まらず、柔軟に意見を取り入れ自分を昇華させていくことこそが肝要ではないかと思うのです。


とはいえ、実際問題として自分が正しいと信じないことには生きていけないというのも事実。
自分こそが正しいと信じつつも、自分の中の僅かな綻びでも見落とすことなく、また目を背けることなく自分を律するというのはまた矛盾を含む話。


これだから論理は面白い。
| 今村 涼次 | 真面目な話 | 17:25 | comments(5) | - |
俺と漫画と漫画と俺と。
おそらくは懐古主義者、時代の波に乗り遅れた負け犬の戯言。






「最近の漫画ってつまらないの増えたなぁ・・・」






俺は常々漫画は『絵』『コマ割りと構図、構成』『物語』の3つの要素で成り立っていると考えていて、よく映画に例えたりしています。

『絵』は映画における制作費。
絵が上手いことは総制作費〜億円とほぼ同義であり映像の迫力、リアルさを左右します。

『コマ割りと構図、構成』は映画監督。
映像化するにあたってのカメラワークを左右する部分であります。

『物語』はストーリーライター。
中核を成す部分です。

さてここで、一つの問いかけをしたいと思います。
『映画で最もクローズアップされる部分は何処?』
映画のポスターやエンドロールをを見てみれば一目瞭然ですね。
どんな作品にでも必ず名前が大きく載る役割。そう、映画監督です。
例え制作費がいくらあろうとも無駄遣いであれば一切意味はありません。
また、制作費が少なかろうとも名作は生まれます。
例え物語がどれだけ秀逸でも、それを映像化する必然性はうまれません。
物語が見たいだけなら活字で十分なのですから。
これは考えてみれば当たり前のことなのです。
映像の中に台詞や背景を盛り込み物語をより良いものに昇華させることが映画や漫画といった映像をみせるメディアの狙いなのですから。



しかしながら漫画を人に薦めるとき、あなたならどう薦めるでしょうか?

「この漫画、話がめちゃくちゃいい」

「この人、絵が上手いよね」

俺はこれ以外の言葉を聞いた覚えがありません。
如何に人は構図とコマ割り、ひいては構成力を軽視しているかが分かる事象の一つです。



最近、土田世紀の『編集王』を読みました。
作者の主観、主義、主張が盛り込まれた前半部分は特に面白いものでした。
後半部分は人間ドラマに固執したせいか、出版業界の話である必要性が皆無となってしまっていたのが残念な限りですが。
この『編集王』の中では商業主義の権化である上司とそれに抗う編集者、クリエイターという構図で話が進められていきます。
そうなってくると勿論のことながら『売れているものこそが至上である』という商業主義的概念と『売れなくてもいいものはいい』という反商業主義的概念のぶつかりあいになることは容易に想像がつくと思います。
そもそも漫画というのは売れなくては話にならないものです。漫画というメディアは商業としてはじめて成り立っているものであって、決して慈善事業ではないのですから。
売れる漫画でなければ漫画として存在する価値は無いのです。
ですから商業主義を根本から否定する気は毛頭ありません。



ただし、売れたからといって存在する価値があるのか?という問いかけには「否」と答えざるをえないとも思っています。
最近は絵が上手い漫画家が増えてきました。
増えてきたということは商業主義的に読者のニーズに答えた結果でしょうし、ただ絵が上手くなること自体に文句などあるはずもありません。
そして現代の風潮では絵が綺麗な漫画は売れることもまず間違いはありません。
しかし、絵が綺麗で売れる漫画だからといって面白いとは限りません。
商業主義はそうした売れるための力をニーズに合わせて重視し、それに合わせた人材を発掘しようとした結果、面白さを作り出す能力の足りない人材まで野に放つという結果を招きました。
個人的な感想ですが最近は構成力不足、というか手法が決まりきった形ばかりで読者をあっと唸らせるような構成に出会わないんですよね。次のページで見開きでくるだろう、とか想像がついちゃうんです。
昔の漫画のようにページをめくったらいきなり主要キャラの墓が出てくる、といった読者の予想を大きく裏切る、驚きがないんです。次で何をしてくるか分からない、だからこそ次のページを恐る恐るめくる。そんなドキドキが無いんです。



また、このような問題はただただ商業主義だけが悪いと言えないとも感じています。
それは同人誌の存在。
最近は同人出身の漫画家も非常に増えてきました。
プロとなった今でも同人誌を描いている人もいますし、もしかしたら俺が知らないだけで昔から同人出身の漫画家は多かったのかもしれません。ただ最近は同人も脚光を浴びすぎて目立ってきたがために思うだけなのかもしれません。
同人は簡単に漫画を多くの人に発表する機会を与え、漫画を描く人材を多く排出するという利点はあります。また人気を支えるという点においてより市場を活性化させるという利点もあるとは思います。
ただし俺が考えるに、それに伴ってそれ以上に多くの弊害を残しているように思えてならないのです。



一つは、2次創作の問題。
全てではないものの多くの同人誌は2次創作で成り立っています。
この2次創作、今まで俺が目にしてきたものはほとんどがキャラクターを用いただけの原作を用いる必要が無いものか、一つの原作に他の原作の要素を持ち込んでパロディにしただけのものでした。
中にはオリジナルで勝負している人もいるのでしょうがそんなのは極一握り。
大多数は人が用意したものを勝手に組み合わせて、それで満足するだけ。
そのまま技術だけが向上していって、そのまま商業誌で連載という運びになると結果つまらないものが増えてきます。
自分で一から、背景から全てを積み上げてきていない人がどうして自分の表現したいものを表現できるのか?
人様の作ったものを動かしたいだけできた人がどうして自分の主義主張を盛り込めましょうか?
そもそも自分が描きたいことは人様の作ったものがなくては描けないのでしょうか?
俺にはその辺が不思議に思えてなりません。



そしてもう一つは、市場そのものの問題。
商業主義を否定しながらもより色濃く商業主義が反映される結果と相成った同人業界はそれこそ技術至上主義となってしまっています。
普通に同人誌の評価で「この人絵が上手いよね」しかほとんど聞くことがないことが全てを表わしていると思います。
絵はめちゃくちゃ上手いんだけど、漫画である必要がない。
ぶっちゃげて言ってしまえばイラスト集で事足りるんですよね。
そんなものを賞賛するニーズこそが漫画そのものをつまらなくしていっている、と思えてならないのです。



そして何より、一番の問題はプロ意識の欠如を招いている点だと思うのです。
これについては一つの例を出してみましょう。



これは数多ある漫画家の中で、俺が個人的に最低だと思っている同人上がりの漫画家についての話です。
その漫画家は黒乃奈々絵。
この漫画家は絵は非常に上手く、話の作りもそれなりで完成度の高い作品を作っていました。
そしてそのままアニメ化までするに至り、まさしく順風満帆の真っ只中、突如ひとつの発表をします。

「大変申し訳ありませんが、この巻をもって”PEACEMAKER 鐵”を一旦休止させて頂きます。
しばらく充電期間を置き、改めて構成を練り直してから再開したく思います。
いつになるかはまだ分かりませんが、続編を目にする事があれば、再び手に取って頂けたら幸いです」


ここまでならばまだ許せる話。いいものを作りたいから悩む時間をくれ、そのこと自体は大歓迎なのです。
クオリティが上がる事は喜ばしいことなのですから。
しかしココから先が問題。
この漫画家、休止した漫画を放っておいて新連載を始めたのです。しかも2本も。
漫画の連載は話が続くこと、そしていつかは終わるであろうことを前提条件としています。
終わらないことが分かっている物語を誰が買おうとしますか?誰が読もうとしますか?
作業が遅れることもあるでしょう。原稿を落とすこともあるでしょう。
人によってはそのこと自体も『プロ根性の欠落』と考えるであろうことですが、俺にとっては重要なことではありません。
とりあえず一つの仕事に真摯に向き合った結果であるならば。
連載を増やしたらペースが間に合わなくなりましたってケースはよく見かけます。
はじめはイケると思ったことがイケなかっただけ。それは自己管理ができなかっただけで作品を作り上げようという意思は感じます。
連載の最中に雑誌が潰れたという話もよく聞きます。
作者の描こうという意思とは裏腹に商業主義がそれを許さなかっただけ。作者の無念に感じ入りこそすれ、作者の裏切りとは思えません。
しかしながらこの黒乃奈々絵は自分の意思で休載し、自分の意思で連載に向き合うことを止め、読者に対して誠意の無い対応。読者への裏切り。
どうしても休止して他の連載をするのであれば一時連載に区切りをつけ、一部完、とでもしておけば良かったのにそれすらもしない。完全なほったらかし。
読者を舐めきっている。
プロ根性の欠落とはこういうことをいうのだと思います。
このような極端な事例と本当に同人と関係があるのかどうか、それはどうか分かりませんが、少なくとも同人にいい印象を抱いていない俺には関係があるように思えてなりません。



『もっと面白い漫画が読みたいんだ』
さて、長々と書いてまいりましたが次の言葉で話を締めくくってみたいと思います。
本質的な意味で面白い漫画なら、ニーズとかある程度無視しても売れないですか?



どうでもいいけど、この文書いたことで3人は友達無くしそうな気がする。
| 今村 涼次 | 真面目な話 | 17:02 | comments(1) | - |
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